5:30am・・・今日の波/ひざ下・曇り
ロングなら乗れそうな波が残っています。
カフェ、今日も元気に営業します。
きのう書いた『ラテに感謝』の著者で元広告会社の重役マイケルは、若かったころはコピーライター、
クリエィテブディレクターとして、一流企業の広告を創ってきた。
その経験を生かし、53歳で会社をクビになったとき、コンサルティング広告の会社を
起業した。
しかし、若いころの創造性豊かな感性はもうなくなっていたようだ。
起業当初は、元の会社のつながりで仕事をくれていた会社も、徐々にマイケルに連絡をくれなくなった。
そう、彼の仕事はもう評価されなくなっていた。
多くのスポーツ選手も同じだ。
20代30代前半までは、すごく活躍していた選手も、徐々に体力が落ちたり、運動能力が下がり、
良い結果が出せなくなってくる。
その今まで活躍できた場所で自分の能力が通用しなくなってきたときに、どう変化すればいいのか。
これがすごい難しい。
このマイケルの話で思い出した人がいる。
80年代、日本の広告界で大活躍したコピーライター、糸井重里さん。
西武百貨店など、多くの一流企業の広告を手掛けてきた有名コピーライター。
その糸井さんでも、バブルがはじけ、時代の空気が変わり始めてから、広告コンペに
勝てなくなってきたと、ある雑誌に書いてあるのを読んだことがある。
日本が不景気という雰囲気に覆い尽くされてから、完全に広告に求めらている流れが変わってきた。
糸井さんが書く、西武百貨店的な幻想のようなイメージ広告から、ジャパネットたかたに象徴される、
ズバリな広告、ダイレクトマーケティングが主流になってきた。
いわゆる、商品の価値をわかりやすく伝えることのほうが主流になり、よくわからない
イメージだけの広告手法では通用しなくなってきたのだ。
そこで、糸井さんはコピーライターという仕事を本業にすることをやめて、
タレント、作家、経営者という変化を遂げていく。
また、早くからインターネットの可能性に気付き、ネットで独自のビジネスを
軌道にのせていくことに成功する。
2001年に発行した『インターネット的』糸井重里/著 PHP新書
は、糸井さんが勝てる環境を見つけたことを書いた本ではないだろうか。
その本の中で、糸井さんはこう書いていました。
『45歳の頃、ものをつくることへの危機意識を、この流れのままだと、
将来、めしを食えなくなるんじゃないだろうか?と、
とてもリアルなかたちで感じるようになりました。
・・・・・
そう感じたから、とにかく流れを変えなくてはと思いました。
まず、今「住む場所」を変えることが先決だと直感的に考えたのでした。』
そして、糸井さんは1997年49歳からパソコンを始めます。
その一年後に『ほぼ日刊イトイ新聞』というホームページをスタートさせました。
その後、この『ほぼ日』から、多くのビジネスをつくり出すことに成功。
こうして、糸井重里さんは、変化することによって、自分のアイデアを活かして
勝てる環境を自ら作り出したのです。
糸井さんの生き方に学ぶことがたくさんあります。
『インターネット的』糸井重里/著 PHP新書/2001年
久しぶりに、もう一度読み返してみます。