人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ
大河ドラマ「軍師官兵衛」をやっとみる
11:00am・・今日の波/アタマ・曇り
サイズダウンしてきましたが、まだ荒れ気味のうねりです。
ポイントによっては楽しめそうです。

カフェ、今日も元気に営業しています。
(今週は、25日(木)・26(金)・27日(土曜)の3日間、休ませていただきます)
ただし、年末年始は営業します。

大河ドラマ「軍師官兵衛」をやっとみる_f0009169_11404376.png


大河ドラマ「軍師官兵衛」をやっとみる_f0009169_11411676.png


NHKの今年の大河ドラマ『軍師官兵衛』を今年初めて見たのは、
最終回の21日(日曜日)。
戦国時代の歴史が好きな僕は、ほんとは初めから見たかったけど、
裏番組で子供たちが大好きな番組「いってQ」を放送していたので、
ずっと我慢していました。
DVDレコーダーの裏番組録画が付いた機能は、もう10年ぐらい使っている
我が家のレコーダーには付いていません。
そんなわけで、最終回だけは僕の意見を優先してもらい、官兵衛を観ました。

官兵衛の最後は、天下人にはなれなかったが、ナンバー2としては成功した
武士だったような気がします。
それよりも、大阪城が家康により落城して、豊臣家が滅んでいくことの下りがもう少し
くわしく演出してほしかったかな。
まぁ、官兵衛が主役の話だから仕方ないけど。

この大阪城の落城で亡くなった秀吉の側室(淀殿)は、これまで2度も落城にあっている。
1度目は、伯父の織田信長により小谷城を攻められて落城。
父の浅井は自害。母のお市のかたと姉妹で生き延びた。
2度目は、柴田勝家の北の庄城で秀吉に攻められ落城。
ここでは、母のお市の方が勝家と共に亡くなる。
そして、3度目は淀殿自身が戦いのトップに立ち、大阪城は家康により落城させられ、
秀頼と共に亡くなった。

3度も落城という体験をした淀殿(茶々)。
織田信長の時代から、秀吉、家康の時代へと変化していく乱世を生きていた。
死ぬということがいつも身近にあった戦国時代。
官兵衛もすごい人だが、最終回を観たら、淀殿の生涯もまたくわしく
知りたくなりました。

僕が思う淀殿の失敗は、関ヶ原の戦いのときに、秀頼といっしょに西軍と共に
戦わなかったことだと思います。負けたら後ろがないというところに追い込まず、
逃げ道を作ってしまったところに敗因があった。
西軍の大将として秀頼が出陣していれば、裏切る武将も少なかった可能性が高い。
あの関ヶ原の西軍の敗戦で、大阪城の落城の前に、豊臣家の滅亡が既に決まっていたのでは。

また、戦でほとんど負けたことがない秀吉だったが、唯一の失敗は、小牧長久手の戦いで、
家康に勝つことができず、講和したことだ。
ここで軍師だった官兵衛はどんな助言を秀吉にしたのだろうか。
あの戦いで、柴田勝家のようにもし家康を滅ぼしていたら関ヶ原の戦いはなかった。

戦国時代は、ひとつの戦略・采配ミスで生き残れるか死ぬかが決まる。
そんな恐ろしい時代だった。
いまは、失敗してもたいがいのことでは命まではとられない。
時代が変われば、生き方も変わる。
だから、勇気を失わないで生きていきたいな。

PS/戦国時代の歴史に詳しい人がいれば、カフェでいろいろ教えてください。
冬はゆっくり話せる時間がありますよ。
by cafe_delmar | 2014-12-23 11:44 | デルマー前:波情報