7:00am・・今日の波・クローズ/雨&雪
冬型の天気になり、海は大荒れです。
カフェ、元気に今日も営業します。

自由に生きたいから、群れの中に入らず、堂々と生きてきた。
長崎の漁師の家に生まれ、歳の離れた姉と兄の4人家族。
漁師の父親は仕事で家に不在がち。10歳上の姉は、中学を出て愛知県へ集団就職。
お兄さんは中学を出て、お父さんの船に乗った。だから、お母さんと二人で家にいて、
ひとりで漫画を読んで遊ぶ子供だった。
一家団欒みたいな記憶がほとんどない。
家族旅行の記憶もない、幼少期から孤独な子供時代だった。
学校では、友達はほとんどいなかった。(作らなかった)
自分だけ、高校に進学させてもらった。
漫画家として成功する30代までは、看板や、ちり紙交換、
ダスキン配達などの職業に就いた。
長崎の高校を出て、地元の看板屋で働いていた時、ひとりで東京へ行くことを決意。
『ごめん、明日、俺、もう東京に行くよ』と、前日に母に伝えた。
長崎にこのままいたらダメだと思った。
自由がどんどんなくなってしまう。
えびすさんは、長崎から逃げるように東京へ飛び出していった。
えびすさんは、『友達』って必要なのでしょうか?
と著書の中で書いています。
えびすさんの友達ということの考え方は、ちょっとかわっているけれど、
友達がいらない人も、いてもいいと思った。
みんなちがっていいんだから。
昔から、休日になると、ひとりで競艇に行って、映画館に行って、好きなご飯を食べて、
麻雀をやって家に帰るのが好きなことだと言う。
そうやってひとりで遊ぶことが楽しかった。
孤独感など、いつもひとりでいても感じたことなどなかった。
そんなある日、大好きな競艇に行っても楽しいと思えなくなった。
それは、外でひとり遊んで家に帰ってきても、そこには
いつもいたはずの妻がいなかったから。
競艇で大きく負けて帰って、怒る人がいなくなった。
30年連れ添った妻の死は、えびすさんにとって、自分の中の一部が
もぎ取られたような喪失感だった。
(51歳で、奥さんは肺高血圧症で亡くなりました。)
えびすさんはそのとき、人生で初めて『孤独』と言うものを知った。
子どもの子育ては、ほとんど妻任せだった。
「子供より妻が大事」、そう言い切るえびすさん。
今、えびすさんは、ひとりぼっちが楽しめるのは、二人目の奥さんがいるからだと言う。
「愛する人がいるからこそ、僕は安心してひとりぼっちでいられる。」
ひとりでいることが好きだけど、ほんとはひとりぼっちじゃない。
自分のやりたいことをするために、群れの一員にならないように、
自分に正直に生きてきた。
テレビに出るたびに、非難されていた時代もあった。
それでも、ぶれずに自分を変えずに生きてきた。
えびすさんの生き方、いろいろな見方があるかもしれないが、
「群れないで生きてきた」えびすさんに、本を読みながら、
「うんうん」と共感することがたくさん詰まった、すごくおもしろい本でした。
なんか読んだ後、朝、顔を洗った時のようにすっきりした気持ちのような・・・。