9:00・今日の波/フラット・雨
カフェ、今日も元気に営業しています。カフェのオープンは、朝8時50分からです。
ラストオーダーは、18時30分ごろです。☆大人のサーフィンスクール、受付中。
(11月初旬まで)2018年は、4月中旬から再スタートします。
ひとりでも受付しています、気軽にどうぞ。(3日前までの予約制です)スクールのときは、
温水シャワーが無料で使えます。波がないときは、無料キャンセルできます。
サーフィンスクールは40歳以上の方、大歓迎。
レンタルボード&レンタル・ウエットスーツもあります。
(ロングボード・ファンボード・ショートあります)リーシュ、サーフWAX、ビーチサンダル、
日焼け止めも置いています。
☆SUP(スタンドアップ・パドルボード)レンタルもあります。
☆ペンションは一組限定、和室で4人までお泊りできます。
デルマーから歩いて3分の高台。ここは、夕陽が日本海に沈んでいくところが見えます。
高台の下は、たまに波が割れるポイントです。
74年前の太平洋戦争。
フィリピンで航空司令官をしていた富永司令官は、「死んで来い」と送り出す
特攻隊員にいつもこう言っていた。
『決して諸君ばかりを死なせはしない。いずれこの富永も後から行く』
「不死身の特攻兵」軍神はなぜ上官に反抗したか
鴻上尚史 著 より一部抜粋
多くの若者を特攻で死なせた司令官は、敗戦濃厚になったフィリピンから、
『台湾への出張を命じられた』とうそを言い、まっさきに飛行機で台湾へ逃亡した。
アメリカ軍が迫るフィリピンに多くの部下を残して。
そうやって、司令官富永は戦争を生き残った。
富永の命令に背き、9回の特攻作戦から帰ってきた21歳の隊員、佐々木友次。
21歳の若者が絶対的な権力を持つ年上の上官の命令に背いて生き延びること
を選んだ。それがどんなに凄いことなのか。
著者の鴻上尚史も書いているが、僕が21歳のときに上官の命令に背くことは
絶対にできなかっただろう。
鴻上尚史さんのこの本を読んだのは、今年に入ってすぐの頃でした。
今、ニュースで毎日のように取り上げられている日大フットボールの事件を知り
『不死身の特攻兵』を思い出しました。
指導者なら、ぜひ読んでほしい本です。
佐々木友次は17歳のとき、北海道の農家の家から仙台にある航空機乗員養成所に
合格し、あこがれのパイロットになります。
小学校に入る前から、飛行機が大好きな子供だった。
訓練で飛行機に乗るたびに、いつまでも飛行機に乗っていたいと思うほど
飛行機好きの青年だった。
そうやって、操縦の腕をメキメキと上げていった佐々木友次。
しかし、終戦をむかえたフィリピンで生き残り、本土に帰った佐々木友次は、
2度と飛行機に乗ることはせず、北海道へ帰り、実家の農業を継いだ。
大空への憧れを持ちながら、妻と共に農業を続けた。
佐々木友次の仲間たちは、上官の命令通り敵艦に体当たりして死んでいった。
逃げた指導者(上官)の命令どおりに。